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小学生の頃から大の相撲ファンだった私は、当時は鳳凰関(元関脇・二所ノ関)の大ファンだった。

同じく熱狂的な相撲ファンだった兄から、「鳳凰」とは中国の伝説の鳥のことであると教えてもらって以来、なぜか親しみが湧いて、好きになったのだ。



スピードが遅く、さしたる特徴もない、なまくら四つ(左右どちらの四つでも取れる)の力士であったが、ねばり腰が凄かった。「重い腰」とは、このひとのためにあったような言葉だった。

テレビの前に座って待ち、鳳凰が出てくると胸がドキドキした(これほどまで鳳凰関が好きだった小学生は、鳳凰関には失礼だが、おそらく他に居なかったのではないか?)。

ごくごくたまに横綱を倒したりすると、大興奮で夕食を忘れるくらいだった。横綱・千代の富士を倒した一番(横綱の連勝を22で止めた!)や、横綱・大乃国を2場所続けて倒したことは、いまでも鮮明な記憶として残っている。

当時の二所ノ関は、同じく中国の想像上の動物をシコ名に持つ、麒麟児関も抱えていた。鳳凰と麒麟をどちらも漢字で書けた小学生は、私の学校では他に居なかっただろう。



伝説では、鳳凰も麒麟も、聖天子がリーダーの位に就き、平和な世の中になったときにのみ、姿を現すのだという。

言いたいことは、お分かりであろう。私は、角界の自浄を信じたい。しばらくは、相撲に関する話題を仕事のテーマに選ぶことを自粛することさえ、するかも知れないが、私は待つ。

犯罪を許さない、厳しくも素晴らしいリーダーが出現し、角界を引っ張る日を。そうなれば、かつて幼い私をワクワクさせてくれた鳳凰や麒麟が、また姿を現してくれるに違いない。
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