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 球児たちが憧れの甲子園を目指す、全国高校野球大会の地区予選が盛り上がっている。この地区予選を観ていると、実に珍しい場面に数多く出会う。そして、ある種のプレーが、「高校生らしくない」と強烈な非難の的となり、心を痛めることも多い。

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 九五年の夏、東東京大会の四回戦、帝京-八丈。
 六回裏、帝京の攻撃中、無死三塁のチャンス。ここで打者の放った打球は、外野に抜けるクリーンヒット。ところが、三塁走者がその場で立ち止まり、ホームインを放棄した。観衆は唖然呆然…。
 実は、調整のため控え投手を登板させようと、コールド勝ちを回避したのだ。取れる点をわざと取らない行為が教育的に大問題だと、強烈な非難の的となった。

 しかし、だ。私は、このプレーを非難する気にはなれない。夏の予選は、過酷な日程で行われる、一度負ければ終わりのトーナメント。それを勝ち進むことを目標に戦うことを通して、高校生たちを教育している。その目標のためには、複数の投手を揃えておき、余裕のあるときに次戦に備えて控え投手を調整登板させることは、最善の「戦略」である。力を抜いているとも、教育的に問題だとも、私は断じ得ないのだ。
 プロ野球でも、大量リードしているチームが控え投手を調整登板させることはよくあるが、非難されたりはしない。もちろん、ヒットでも進塁しないことを、野球規則は何ら禁じていない。 

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 〇六年の夏、秋田大会の準決勝、本荘-秋田。
 七回表、本荘の攻撃。なんと、各打者が、全ての球をわざと空振り。次々に三振に倒れるという、奇妙奇天烈な場面があった。
 実は、十二対一と大量リードしていたのに、雨が強くなってきたのだ。高校野球では、七回が終了する前に雨で試合ができなくなると、ノーゲーム、すなわち全てチャラにされ、試合がやり直しとなる。それを回避するため、早く七回を終わらせようと、わざと三振したのである。この行為も、高校野球にあるまじき行為だと、おおいに非難の的となった。

 だが私は、これも全く非難すべきとは思わない。たとえばサッカーでも、リードしているチームが無理な攻撃を放棄し、パスばかり回して時計を進めようとするのは、当然の「作戦」だ。
 むしろ非難すべきは、ノーゲームという馬鹿馬鹿しいルールのほうである。雨だからと言って、なぜ試合をチャラにしなくてはならないのか。次の日に「続き」をすれば良いだけじゃないか!
 〇三年の夏の甲子園では、駒大苫小牧(南北海道)が倉敷工(岡山)に八対〇と大量リードした四回に、雨でノーゲーム。スコアはリセットされ、翌日の再試合で駒大苫小牧は負けてしまった。甲子園の長い歴史のなかで、八点差が逆転されてひっくり返ったことは、わずか一回しかないのに、だ。こんな理不尽なことはない。
 ついでに言うと、「日没コールドゲーム」というのも酷いルールだ。照明設備のない球場が多い地区予選では、無理な日程を詰め込んだために時間が足りなくなり、日没で試合が途中で打ち切られることが、実際にある。彼らが青春を賭ける大事な舞台を、そんな大人の勝手な都合で…。

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 正々堂々、常に本気で戦うことが、もちろん正しい。高校野球では、一見それに反するようなプレーが、しばしば激しい非難の的となる。だが、分かって欲しい。わざとホームインしなかった走者も、わざと三振した打者も、「本気」で戦っていたのだと。それも、正々堂々と、ルールに則って。
 球児たちは、炎天下での過密日程で行われる一発勝負のトーナメントや、ノーゲームという不条理な規則といった、高校野球の稚拙な運営とも戦っているのだ。かつて高校球児だった者として、私は後輩たちを強く弁護したい。

(この記事は「逓信協会雑誌」2010年7月号に掲載されたものです)
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