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第94回全国高校野球選手権大会・神奈川大会は、桐光学園が優勝し甲子園出場を決めた。スターティングメンバーのうち6人前後が1、2年生という若いチーム構成で、コールド勝ちも1回だけ、圧倒的な勝ちあがりではなかった。だが、準々決勝で選抜4強の横浜に競り勝つなど、大会のなかで成長して力をつけたという、典型的なケースにみえた。

私自身も経験があるが、こういった1、2年生主体で学年がバラけたチームは、かえってチームワークが良くなることが多い。桐光学園も試合中の選手たちの表情、ムードが良いのが印象的だった。もちろん、ムードだけでは勝ちあがれない。桐光学園の強さは、非常に正確なバント、そして鍛えられた守備。加えて、彼らを見ていて頭に浮かんだ言葉は、「野球センス」。1、2年生でこれだけ仕上げてきたのだから、その練習量には頭が下がる。

主戦は2年生左腕の松井裕樹選手だが、あの変化球をコーナーに決められれば、甲子園でも十分活躍できそうだ。特に左打者には、外に逃げる彼の変化球を打つのは相当難しいだろう。

ちなみに、桐光学園は川崎市麻生区に学校がある。グラウンドは公式戦にも使われるので、訪れたことがある方も多いだろう。余談だが、2種類の校歌のうち三木たかしさんの作曲のものがあるが、奇をてらわないシンプルな旋律である。



さて、今年に限ったことではないが、神奈川大会を観ていて改めて気になったのは、審判による判定だ。今年の春のセンバツでも、4月1日の準々決勝、光星学院-愛工大名電戦(バント空振りを死球と判定)や、横浜-関東一戦(ホームインを踏み忘れと判定)で明らかな誤審が相次ぎ話題となったことは、ご記憶のとおりだ。甲子園でこれなのだから、地方大会は推して知るべしである。神奈川大会でも(具体的に例示することは避けるが)、たとえば1点差の終盤の重要な場面で、明らかに「??」という判定で勝負が決してしまう、そんなやりきれないケースが多かった。

実は、今年から私は「高校野球こそビデオ判定などを導入せよ」と連載やコメントで積極的に述べている。すると、高校野球の審判委員の方から、「現場(審判)のことを考えていない意見だ」と批判された。

運営上無理だというのが主なご意見だったが、「第五審判が審判席でテレビを観て、明らかに変な判定のときに主審に携帯電話をかければ良いではないですか」とほんの一例を挙げると、「携帯電話を持つことは認められていないからやっぱり無理」と言われた。正直、頭を抱えてしまう。

「審判のことを考えていない」と言われること自体が心外なのだが、それよりも「選手のことこそ、考えて欲しい」と思う。ロンドン五輪の柔道でも、ビデオ席からの意見で判定がコロコロ変わり「審判の意味がない」と批判されている。だが、「審判は絶対だ」だとか、「審判の意味がない」とか言う批判は、命を削って五輪に賭けている選手のことを考えての意見なのだろうか。海老沼匡の準々決勝で、3人揃ってチョ・ジュンホに旗を上げてしまう審判をみて、「この審判たちに任せるべきだ」と言えるのか。

前述の甲子園だって、誤って判定してしまうこと自体は全くもって仕方のないことだが、主審が躊躇せず一塁塁審と協議をする等さえすれば、正確な判定に覆ったはずだ。そうした姿勢がないことこそが問題なのだ。審判委員が選手を思い遣った真摯な態度がとれないなら、ビデオ判定もやむなしだろう。

それに、「ビデオ判定で審判の意味がなくなる」なんてことは、全くない。それこそ審判に失礼である。たとえば主審は「はじめ」「まて」「プレイボール」など、試合を適切に進行するという実に重要な役割がある。判定を行うだけが、審判の仕事ではない。



私が、ビデオ判定やその他の判定を覆すシステムを、特に高校野球で望むのには理由がある。それは、「高校野球は教育の一環」である(とされている)からだ。意見や抗議を受け付けず、不条理な結果を押しつけることは、明らかに正しい教育ではない。

子供たち(=選手)が正しいと思う主張を、受けとめてあげること。大人(=審判)が間違っていた場合には、大人がそれを潔く認めること。そして、最終的に公平で正しい裁きを下すこと。たとえそれができなくても、それを目指そうと大人も努力をすること。間違いは誰にでもあるのだという事実を認め合い、可能な限り公正な結果を目指す運営こそが、青少年を正しく導くのではないかと思う。
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