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わたしは、期待する、という行為も一つの「充たされた状態だ」というふうに考えています。

                 ―― 寺山修司(『家出のすすめ』)


高梨沙羅、浅田真央。金メダル有力と期待された日本の有力選手がメダルを逃し、話題を呼んだソチ五輪。だが、「金メダルを獲れるかも知れない」と期待させるというだけでも、我々スポーツファンに、測り知れないほどの絶大な満足を与えてくれるものなのだ。たまたま五輪で勝てなかった偉大な金メダル候補たちに、感謝の気持ちでいっぱいである。

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さて、金メダル候補とされた日本人選手が次々とメダルを逃し、「日本のメディアが選手にプレッシャーを与え過ぎたのが原因」といった声が実に多く聞かれた。「メディアにはそっとしておいて欲しかった」などと、ハッキリ公言した関係者もいる(名前は伏せておく)。だが私は、こうした意見には全く賛成できない。

まず、メディアが期待を寄せたり、注目したりしなければ、競技自体が成り立たない。女子のスキージャンプをみてほしい。世界的に競技人口が非常に少なく、世界大会でも実力選手の数自体が集まらない。男女対称の風潮のお陰でなんとか五輪種目となっているものの、メディアが注目をやめれば、五輪から除外されること必至の競技である(ノルディック複合など、いまだに女子の種目がない競技も厳然とあるという事実に留意されたい)。

もっと現実的な観点でいえば、選手がテレビにたくさん映らなければ、選手にスポンサーがつかない。企業であっても個人であっても、スポンサーがなければたちまち資金難になり、勝てるトレーニングができなくなり、競技自体すらできなくなり得る。五輪直前こそ、スポンサーにとっては最も選手に露出して欲しいのだ。

それに、五輪などの大きな舞台で、テレビ局などのメディアが大きく期待を寄せて注目し、お茶の間にその映像が届けられるからこそ、次の世代が憧れて競技に参入してくるのだ。これは大事なことである。今回ソチでメダルを獲った選手も、獲れなかった選手も、程度の差はあれ、みなテレビなどのメディアで注目される先輩たちを見て、彼らに憧れて競技を始めたはずだ。要するに、「五輪競技」に出て、メダルを目指すのなら、メディアによるプレッシャーを受けるのは宿命である。

そもそも、だ。五輪が始まる直前に、それを獲れそうな選手がいるのに、メディアが何も報道しないし、誰も騒がない。そんな金メダルに、価値があるのか。「誰かが獲れそうだ」というだけで日本中が大騒ぎになる、そんなものだからこそ、選手たちは金メダルが欲しいのだ。

おそらく、ソチ五輪で奮闘した選手の皆さまは、そんなことは分かっていると思う。どうも一部のファンや解説者に、そうした理解が欠如しているようだ。

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不安定に滑る雪や氷の上で行う冬季五輪の種目はもともと、実力者であっても一発勝負で勝てるとは限らない特性を持っている。荻原健司でさえ、個人の金はない。もちろん、日本人ばかりでない。たとえばオーストリアだけとってみても、マリオ・マット(アルペンスキー)さえ、今回のソチでやっと初めて勝ったのだ。カトリン・ツェッテル(アルペンスキー)のメダルも、意外なことに今回のソチが初だ。あのシュリーレンツァウアー(スキージャンプ)も、個人ではいまだ五輪で勝っていない。

高梨沙羅がメダルを逃すとすぐに、「プレッシャーが原因だ!メディアが期待しすぎたんだ!」という議論になってしまうのは、それが正しいかは別として、日本において冬季スポーツが理解されていないことを表しているようにも思われる。

だからこそ、五輪以外の成績も総合的にみて、冬季スポーツ選手を評価して欲しい。「ソチ五輪をみて、冬季五輪が好きになりました!」という声も聞いたのだが、「冬季五輪」ではなく「冬季競技」を好きになって欲しいのだ。五輪は、数ある大会のほんのひとつに過ぎないのだから。
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